ゆるゆる筋トレDay1と才能がない女の末路
人より得意なものが特にない、と気づくのはいつだろうか。
私は致命傷にならない程度に早かったと思う。
それは中学生の時。
苦手だと気付くことがなんと多いことか。
私は北関東の田舎の地味な中学生で、テニス部はクラスの一軍しか行けないイメージ、吹奏楽は謎の体育会気質でパス。陸上はとにかくあのブルマみたいな短いズボンでパス・・・と延々に繰り返していくうちに、そこまで部員数も多くないバスケに行き着いた。
しかし、いかんせんドリブルが苦手であった。
ドリブルを3回以上すると自分のバッシュのどこかにボールがぶつうる始末。
名作漫画スラムダンクの春子は、ドジすぎるがゆえに速攻の切り込み隊長として味方がボールを奪った際には一目散に自ゴールに向かい仲間からパスをもらいレイアップシュートを決めると言っていたが、それさえも無理だった。なんせタン・タン・までしかドリブルができないからである。
このときに耳に覚えた鍛高譚という音がのちの私の相棒酒になるとは思いもしなかった。
さらに、わたしは人と話すのも苦手であった。
なぜ内向的な人は内向的なままでほおっておかれないのだろうか。
いや、私はほどほどに快活であった。小学生までは。
好きな男の子の隣に座り、ドギマギもせず、中身のない話をしていたのである。
ただし、口を閉じたままするゲップは人に聞こえていないという謎の思い込みを抱えたまま。その好きであった男の子は『へー、やまねこさんってゲップとかするんだ、女なのに』と言い放った。
その時に私は自分の毛穴というものの存在を知覚した。私の鼻周りの毛は逆立ち、毛穴は大きくご開帳。むしろその最大限に空いた毛穴に私は隠れてしまいたかった。
なんだか自分の才能のなさを書こうとしたのに一つ一つのエピソードを書けば書くほど自分の魂を削っているようで、私は何をしたかったのかわからなくなる。
とにかく私は内向的で才能がなく頭もあまりよくのにガッツもないという自明の事実に
中学生のときのように自分の体というからだで認識し始めたのだ。
これは大いなる失望である。
失望という下地の上に失望というファンデーションを厚くぬりたくり、さらに失望という名のコンシーラーで失望をぐりぐりと押し付けるのだ。
だから決めた。
ガッツがない私はどれだけ自分自身をコントロールできるのだろうか、他人との比較ではなく自分が自分に課す課題をたんたんと処理することができるだろうか。それさえできるのであれば、自分自身のことを少しだけアクセプトすることができる気がする。
というわけで唐突であるが、今日からなんでも30Days challenge始めます。
今日からのお題は筋トレ。
内容はなんでもよい。筋トレをするのだ。
Day1 : スクワットを10回した。